[小ネタ]サバを読む人たち

2008年06月25日 00:00 |[あとで読む]

ちょっと発狂小町風に発言小町の驚愕なネタをピックアップ。これは明らかにトピ主は釣りっぽいんですが、そこへのコメントが賛否両論でいろいろ釣れまくって面白いです。個人的にはあまりサバを読む人に会ったことがないので、いったいどんな状況でサバを読みたくなるのかは興味があります。


まぁ若い人の無邪気さ(=気が利かない)や、年配者のフレンドリーさ(=横柄)など、一般的な傾向に対応するために年齢を指標にすることはありますが、対人コミュニケーションはあくまでその人の個性に合わせて行なうべきだと考えています。その意味では、サバを読まれると多少混乱するから迷惑だ、という感覚は否めないですねぇ。。


以下、お楽しみください。


私、年を大幅にさばよんでます。

35歳の男と付き合っています。私は46歳で通していますが
実は55歳なのです。
食事する時も、間接照明じゃないと入れません。蛍光灯の下だと
膨らんだ目袋、法令線がくっきり出てしまいます。

事前に私がお店に入り、チェックしてからの予約です。
肘は伸ばすと、弛みが出るので、常に15度程曲げていますし
踵は夏でも荒れて、尿素20%(10じゃ駄目)のクリームは
必需品です。

待ち合わせ場所に遅れそうになっても、若い子のように元気に
”ごめ〜ん”と飛び込めません。一旦近くで止まり、顔を落ち着かせて
から、ゆっくり彼に近づきます。
ホトホト疲れたので、別れも考えています。

同じくさばを読み、ぐ〜んと年下の男と付き合っている方がいたら
どんな努力をされていますか?




やっぱり否定的なコメントが大勢を占めています。

正当化の醜さ

男女のお付き合いに大切なものは愛情ですよね。
その愛情を深く育むものが「信頼」だと思います。
逆に言うと信頼の無い愛情というものは非常に嘘くさい。

このトピの最重要ポイントは
「パートナーに対し年齢を偽っているという事実」

この事実を正当化しようとする行為が信じられないとともに軽蔑の対象となります。

仮にみなさんの身近にいる男性が、
「付き合っている彼女いるんだけど、彼女には29歳ということで通しているんだ。実は38歳だけど」

と相談されたとき、
「頑張って騙し続けて」
「素敵な努力です」
「恋愛におけるこういう嘘は可愛らしい です、年齢は関係ないですよ」

と助言できるということになります。


それって恋愛??

若くありたい、という努力をすることはすばらしいことだと思うし
歳なんて いくつだろうと 恋愛をするってすごくすてきなことだと思います。
でも、嘘をついてまですることなんでしょうかね?
相手の男性は結婚しているのでしょうか?
つまり、不倫、あるいはあなたも結婚していてダブル不倫だというのなら
好きにして頂いていいのですが(もちろん大人としての責任はわかった上での
お付き合いでしょうからね)
もし 相手の男性が独身で、結婚を望んでいるとしたら??
あなたはそういうこと、考えたことはないのですか?
歳の差婚を否定はしませんよ。
だけど 騙すのは・・・???
あなた自身、あまりマジメなお付き合いでないのなら(遊びなら)そんなに必死にならんくてもいいのでは??
ちなみに46歳なら閉経前、55歳なら閉経後ですよね。
肌などは整形したり、化粧で誤魔化せますが、身体の関係があればバレているか、疑惑は持たれてますよ、きっと。



平気で嘘を吐く人が

こんなに多いなんて驚きです。
鯖を読まずにうんと年下の彼と付き合って、
若く見える努力をしているなら応援しますけど、
9歳も誤魔化して、しかも罪の意識ゼロで、
自分が疲れたから別れを考えてるって……。
どこまで身勝手なのかしらと呆れます。

そんなトピ主さんを支持したり尊敬したりするレスが、
少なからずあることもショックです。
交際相手への誠意がカケラも感じられないトピなのに。

私の母はトピ主さんと齢が近く、8年前から独身です。
母が若い男性とトピ主さんのような交際の仕方をしたら、
そう思うと吐き気がします。
若い男性と付き合うのが嫌な訳ではありません。
そのために平気で嘘を吐く姿が情けないと感じるのです。
騙される彼が、とてもお気の毒です。

外見はそんなに若く見えなくても良い、
人として、もっと素適に齢をとってほしいです。
私はトピ主さんのような中年女性にはなりたくありません。
私も齢をとり容姿が衰えれば、
トピ主さんや賛同者の気持が分かるのかも知れませんが、
今はそんなもの、分かりたくないです。
頑なでごめんなさい。



一方で肯定的コメントもちらほら。

素敵だと思います

「綺麗さ」を維持するために、とても努力されていて、同じ女性として、頭が下がります。私は結婚してからちょっと気を抜いているので。

学生の頃は老け顔に悩ませられたものの、今住んでいるイギリスでは、
年齢相応に見られる事がなくて、正直に年齢を言うと、とても驚かれるので、
見た目の年齢はおまかせ状態です。日本人が海外で10歳前後若く見られるのは、珍しくないと思いますが、もうすぐ40歳になるのに、スッピンでも化粧していても、20代半ばにしか見られず、ちょっと心苦しいですけど、2歳年下の夫も、私の実年齢は全然気にしないので、ギャップを楽しむようにしています。

いつも「小奇麗に」を目標にしていますけど、小じわやシミを化粧で隠すよりも、
手の手入れに気を使っています。

最近のハリウッドでは、有名女優さん達が、若いToyBoyを連れ歩き
話題になってますよね。
彼氏もトピさんの年齢を気にするような人ではないんじゃないでしょうか?
内面って大事だし。気持ちは分かりますけど、疲れるから別れるっていうのはちょっと...



いいなあ、うらやましいなあ

ホトホト疲れたとおっしゃってますが”一念岩をも通す”ですから努力を惜しんではだめです。

例え46歳だってホウレイ線くっきり、二の腕は振袖、「ごめ〜ん」などとキャピキャピ言えない人いっぱいですよ。
なによりきびきびした動作、姿勢、目の輝きなど、態度や身のこなしが若々しさを造ると思います。

かくいう私、60歳を過ぎていますが今1番興味ある男性は40歳です。
もっとも学術的な場で3ヶ月に一度数時間会う(お〜、二人きりで)だけで、ましてや双方既婚者。
実際に面と向かえば天候の話以外は専門分野の話ばかり。
素敵と思っているのは私だけ。面と向えばことさら理屈っぽい話しぶりに終始していますが、
ひそか次に会うのを心待ちにする豊かな気持ちは自分でもびっくりするくらい新鮮です。

私にはトピ主さんのような状況は決して訪れませんが、だからこそとってもうらやましいです。
年齢を偽りたかった気持ちにも共感できるし、お化粧することだってある意味自分を偽っているのでは?

「今」を充実させるのに何もはばかることはありません。
ただ「遠くない未来」も見据えて。



そして衝撃のカミングアウトも。もしかして結構いたりする?

10歳ほど読んでます

私40歳。彼26歳。
彼は、私のことを31歳だと思ってます。

知り合った当初(39歳のとき)、彼からいくつ?ときかれて「30代です」と言ったら「えー。30歳?28ぐらいかと思ってた」と言われ、否定せずにそのままにしてしまいました。
その後付き合うことになりましたが、いまだに言い出せずにいます。
信じてるならいいかと。。。

私は30代になってからは実年齢より若く見えていたようですが、40代になってからは自分でも老いを感じるようになり、陰ながら努力しています。

杏さんの努力、痛いほどわかります。

私は、毎週3回ジムに通い、マシンを使ってトレーニングをして体を引き締めています。食事はすぐに肌に出るので、腹6分目、カフェインやお酒はとらず、野菜中心。化粧は、肌のたるみや毛穴が目立たないような仕上がりを研究。服装は、自分がなりたいイメージの雑誌を熟読(私の場合はStyle、オッジなど)。そうそう、年齢は手に出やすいので今の季節はUVカット手袋必須、クリームをこまめにぬっていますよ。



正直にわたしも言います。

35:55ですかぁ・・!

がんばってますね。
けど わたしもサバよんでます。
47才なんですが23才の彼がいます。
でも 35才で通してしまっています。。。

努力なんてしてません。
フツーに過ごしています。
夜もすっぴんです。

私は
「若い子と付き合いなよ。お肌も綺麗でスタイルもいいし話しも私と違って楽しいよ」
と、何度か言うのですが
「若い子は疲れるだけだし○○(わたしの名前)の方が気楽でちょうどいいさ」と・・・

トピさん・・
反対に質問したいのですが、なぜサバまでよんでいるのですか?
そうなった経由があるのですか?
ちなみに私は年齢を言う前に、相手が大体35才くらいだろうと思い込んでいて
そのうち訂正ができなくなってしまいました。

トピずれになっていましたらスルーしてください。
でもなんだか私みたいな女性がいたんだ。。と妙な安堵感が広がります。



愛は盲目(自分も騙された経験あり)

私は20の時 自称26歳の人と付き合いました。でも歳はサバを読んでいて実は37歳でした。

友人達は「26の筈は無い!」と言い切っていましたが 私はそれを信じませんでした。
あの頃はその人のテクにメロメロになり 歳の差は全く気になりませんでした。
行動や肌の艶を見てオカシイと思いながら 本当に26歳と思っていました。

只保険証の生年月日を見たときには 友人達の言っていた事は本当だったと悟りました。
それでも愛情は薄れる事は有りませんでした。イヤそれを知ったときから
37歳なら「今の37歳の彼女の体はもう2度と楽しめない」と訳の判らない事を理由にして
一層激しく求めあいました。

当時はやはり同じ年頃の彼女に無い女とテクを求めました。
今思えば年齢が判らなかった事も不思議ですが、一筋の愛と言う事でしょうか?

私は詐欺られたとは思っていませんよ。



いずれにしても昨今流行りの「自己責任」という言葉が、これ以上しっくりくる話はないんじゃないでしょうかね。その後のトピ主からのレスはありません。


[IT]iPhoneの大ヒットが確定

2008年06月24日 00:00 |[あとで読む]

SoftBankからiPhone3Gの料金プランが発表されました。ホワイトプランとパケット定額がデフォルトとなっており、月々7,280円が最低利用料金としてかかります。本体の購入については、8GBモデルが月々960円×24ヶ月=23,040円、16GBモデルが月々1,440円×24ヶ月=34,560円となっています。


これは予想GUYに安い!本体価格はiPodTouch並に抑えられた上で、月額料金も常識的な範囲内でパケット定額で使えるわけですから購入へのハードルはかなり低くなったと見てよいでしょう。もうちょっとユーザ側でいろいろプランを選択できるようにしてあればなお魅力的だったわけですが、ホワイトプランとパケット定額制で利幅を確保しつつ端末流通を促進するような価格設定は爆発的ヒットを予感させるのに十分でしょう。


個人的にもiPhoneには物欲が大いに刺激されていますが、4月にイーモンスターを導入したということもあり今のところは様子見です。もしかしたらBlueTooth搭載のiPodtouchとか発売したら、飛びつくかもしれませんね。。


[Private] 囲碁気をつけます

2008年06月23日 00:00 |[あとで読む]

ゴルフに続く30代からの趣味ということで、囲碁を始めました。もともと祖父が囲碁をやっていて、家には立派な碁盤と碁石があったりするんですが、なんとなくジジくさいというのと、そもそも周囲に囲碁を嗜む人がいなかったという理由で30年間やっていませんでした。たまたまグロービスの堀さんからお誘いをいただき、堀さんほどの方が親子で楽しむ囲碁とはどんなもんなんだろう?と興味を持ったのがきっかけです。

信長と囲碁〜なぜ織田信長は囲碁を打っていたのか?
さて、「なぜ信長が囲碁を打ったのか?」である。織田信長ほど、合目的的 に生きた人間はいないと思っている。信長は、「天下布武」という掛け声のもと、日本を統一するため常識を疑い、合理的に物事を考えて実行した。また、「人生50年」と認識していたので、一刻の時間も無駄にはしなかった。その信長が、趣味で囲碁を打つなどとは考えにくい。



囲碁を実際にやってみると、単純なルールなのに多面的に展開が進んでいって、なるほどこれはポートフォリオを上手く配分しなければ一朝一夕には勝てないようなゲームです。「布石を打つ」や「定石」といったビジネスにも通じる文句も、もともとは囲碁から派生してきたものであり、囲碁で戦略性や大局観、判断力を養うというのは多くの経営者や政治家が嗜んでいることからも理解できます。


そして囲碁は古くからコミュニケーションツールとして機能していたように、その人がどのような性格をしているのかを明らかにする作用があります。攻撃型が守備型か、即決型か熟考型か、何手先まで読んでいるのかといったことまで赤裸裸に性格が分かってしまうので、同好の士は老若男女関係なくなんとなく連帯感を持ってしまうようになります。実際におじさんと打っていたら、実はドコドコの社長さんだったなんてこともあったりして意外と思わぬ副作用もあったりするのですよ。


まぁジジくさいとかなんとか言われようとも、30代で立派なジジィだと開き直って趣味も充実させていきたいですね。もちろん「実は自分もやるんだよ」なんて方の対局チャレンジも随時募集中です!

[小ネタ]世界のナベアツがアホになる理由

2008年06月22日 00:00 |[あとで読む]

世界のナベアツの悲しみと楽しみ
ナベアツが演じるアホは、目の玉のひっくり返し気味に視線を泳がせつつ、顔の一方を引きつらせる表情が基本で、さらに、手足をぶらぶらさせて「アホ」を強調することがある。表情と形でシンプルに笑いの刺激を与えつつ、算数との組み合わせた意外性があり、繰り返しのリズムが癖になる、なかなか洒落たネタなのだが、ナベアツによる「アホ」の表現はある種の人にはたまらないだろう。
 ある種の人とは、たとえば、「ナベアツのアホ」を表情に持った障害児を持つ親だ。
 子供本人はどうか。残念ながら、私は、障害を持った子供の心の中まで完全には分からないが、障害を持った子供本人も他人の反応に対して、大いに敏感なことが多い。子供は案外残酷だから、「ナベアツのアホ」が学校で流行っていれば、養護クラスの子供が嫌な思いをする可能性もある。



最近、小学校の算数の授業などでは、3の倍数でアホになるガキが続出しているらしく、学級崩壊に陥っているとのことです。こんなクソガキすらコントロールできないダメ教師は問題外ですが、子どもも子どもでアホになるくらいノリがよくなくては、将来不安になってしまいますよね。そういえばオイラの小学校時代には、志村けんの「大丈夫だぁ〜」が大流行していて何でも「大丈夫だぁ〜」と言ってたような記憶があります。


実際に世界のナベアツの芸を観てみると、かなり独特の工夫を行なっており頭がよいのだろうな、ということは分かります。そしてアホになる表情を観ても、そこから殊更障害者を意識するようなところはないと感じる人がほとんどでしょう。




ただし、たとえば障害児や障害児の親が不快な思いをするから、ナベアツはこのネタを封印すべきだとは思わない。言葉や表現を狩っても不毛であり、一人一人が持っている差別意識を忘れさせているに過ぎない。問題は意識自体の方にある。不格好だとする対象を笑いたい意識は心の中にあるのだから、せめて、それを忘れないことだ。表現を封じて、意識を忘れようとすることの方が醜悪な場合がある。程度の問題でもあるし、社会の受け止め方の問題でもあるが、対象(たとえば笑われる対象)それ自体に向けられた侮辱的表現でなければ、つまり、「ナベアツのアホ」くらいのものであれば、それは許容される方が風通しがいいと思う。不愉快な人は彼を見なければいい(でも、辛いだろうなあ)。何れにせよ、あの笑いには、一片の毒が含まれていることを、我々も、ナベアツ本人も意識しておく方がいいと思う。



一部に不快な思いをする人たちがいるから、その行為すべてを禁止した方がよいという論理は、物事の発展を妨げる思考停止でしかありません。硫化水素自殺が増えたから硫化水素に関する書き込みを削除しろ、ダガーナイフによる殺人が起こったからダガーナイフの販売を禁止しろ、といった木を見て森を見ない対応というのは、結局根本解決が為されないまま別の手段によって新たに同様なことが行なわれる危険が残っています。


差別という難しい問題についても、差別はよくないという正論をかざすのではなく、多かれ少なかれ存在する自分の中の差別意識を自覚した上で、自虐的な笑いにまで昇華することができれば人間的な成熟が訪れるのではないかと思います。そういう意味では、世界のナベアツが今後は江頭や出川クラスの大物になるかどうか、次のネタにかかっているとも言えますね。間違っても身内をイジって内輪ネタで笑いを取るような醜悪な芸人にはなってもらいたくないものです。

[真面目]種の起源

2008年06月21日 00:00 |[あとで読む]

国立科学博物館で行なわれていたダーウィン展に行ってきました。この週末が最後ということでのギリギリのタイミングになってしまいましたが、生物進化の過程において自然選択説を発見したチャールズ・ダーウィンの生き様について、その歴史的発見の経緯をガラパゴス諸島などへの冒険譚とともに振り返る内容です。学生時代に生物学を学んだ者としては、興味を抱かざるを得ない内容です!!


まずダーウィンの生い立ちですが、陶器メーカーとして有名なウェッジウッド家と姻戚関係にあったため、割と裕福な環境で研究に没頭できたようです。ダーウィンの母はウェッジウッド当主の娘であり、ダーウィンの妻もウェッジウッド家から嫁いできたということです。生物の形質が“ゆるやかに変化している”いう概念自体は祖父エラズマスから教えられ、聖書の万物の創造といった考え方に対しては否定的だったようです。ただ学校の勉強は嫌いで、外に出ては昆虫採集や地質学に没頭していたという少年時代でした。


ダーウィンに変化が訪れたのは、かのビーグル号の南米地理測定に乗船することになったときです。大西洋からマゼラン海峡を経てガラパゴス諸島に達し、ゾウガメやフィンチの形質から生物種の系統樹に関する着想を得たことは有名ですね。実際にダーウィンは何万点もの植物や昆虫の標本を採取し、それをイギリスに持ち帰っています。それらの調査は現在でも続けられており、いかにダーウィンの調査が質的にも量的にも素晴らしかったかを物語っています。


自然選択説自体はマルサスの「人口論」にヒントを得て、環境変化による競争が最適な種を選択的に淘汰していくという理論を確立しています。驚くべきはダーウィンが帰国後、早々に自然選択説による進化論をまとめていたにも関わらず、20年近くもその公開を躊躇っていたということです。当時の宗教観でいえば万物創世を否定する内容であり、種の変性などが信じられていなかったからです。


そんな中ダーウィンが進化論を発表したのは、同様の内容を含むウォレスの手紙を受け取ったことがきっかけでした。ダーウィンはウォレスと共著という形で論文を発表し、現在でも読み継がれる名著『種の起源』を刊行するに至りました。また懸命の介護にも関わらず娘を幼くして亡くし、神の存在よりも死自体を自然現象として達観したことも原因といわれています。


実際の展示では生きたゾウガメやガラパゴスイグアナも観られたり、なかなか工夫を凝らした内容になっていました。時系列でダーウィンの足跡を振り返るとともに、進化論自体がどのように構成されていったのかが分かる内容となっています。ダーウィンが自説を証明するために行なった実験や動植物などの標本も展示されており、ちょっと生物学をかじった者ならば感激するような内容です。


本当に驚くべきは、これら世紀の発見がたった150年前に為されているということと、現在我々が信じている説自体もまだ仮説でしかないということです。DNAに関しては発見されてからまだ100年足らずですし、遺伝子工学がPCR法によって本格的にDNA解析が行なわれ始めたのは90年代からという、まだまだ序の口の学問なのです。我々の全能感を真っ向から否定してくれるような、壮大な発見が今後も行なわれることを期待しましょう!


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